2022年07月15日
『特殊』『特別』そして『普通』
かつて障害のある子どもの教育は特殊教育と言われていました。平成19年4月からは、特別支援教育と位置付けられました。ところでその違いはどのようなものなのでしょうか?
今回は、言葉の意味から少し考えてみたいと思います。辞書(大辞泉)では、特殊は「性質・内容などが、他と著しく異なること」とあり、特別は「他との間に、はっきりした区別があること。他と、はっきり区別して扱うこと」とあります。つまり特殊は、他のものと全く異なり、一緒にできないことであり、特別は他と区別があるということになります。図にあらわすと次のようになります。特殊はカテゴリ―外にあり、特別は同一のカテゴリーの中にあります。
少し乱暴ですがこの言葉の意味を先ほどの特殊教育と特別支援教育に当てはめると、「特殊」教育は、小学校などの教育と全く別な教育と捉えることができます。また「特別」支援教育は、小学校の教育と同じ中で、障害に対する教育方法上の配慮をするものととれることができます。この違いはとても大きいのではないでしょうか。
普通の意味は、辞書(大辞泉)では「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。」とあります。人の社会を見た時に、「普通」の社会とはどのようなものでしょうか。普通というと同じ人が集まっているように思えますが、全く同じ人はいなくて、価値観や性格、習慣、行動様式等々、それぞれが異なっているのが「普通」の社会です。つまり、他の人と同じでない特別な人が集まっているのが、普通の社会であるということです。
その普通の社会での、配慮について考えてみましょう。
光を感じることができる程度の視覚障害のあるAさんは、一人暮らしをしています。夜仕事から帰宅すると、Aさんは部屋の明かりをつけるでしょうか? Aさんは照明をつける必要性を感じないのでつけることはしません。このことは、Aさんの普通の生活です。夜チャイムがなり宅配の人が荷物を届けに来ました。そうするとAさんは玄関の明かりをつけました。これはどうしてでしょうか?
宅配の人のことを思ってつけたのですが、視覚障害のあるAさんが、障害のない宅配の人のことを思って配慮していたのです。『配慮』というとどうしても、障害のない人がある人にするというイメージが強いですが、その逆もあるのです。それぞれ違う人が一緒に社会を作っているときに、それぞれの違いを認め、どうしたら一緒に生活や行動できるかを考え、調整していくことが必要になってきます。この違いがあることを認め、その上に立って配慮という調整をするということは、特別な社会の在り方ではなく「普通の社会」なのです。この普通の社会は、言い方を変えればインクルーシブな社会と言えると思います。
江川 正一
Posted by 京都ノートルダム女子大学こども教育学科
at 10:23
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