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2021年12月06日

せんせいのたまごセミナー~「音楽科指導法」という授業

 私は小学校で音楽の授業を教えるための「音楽科指導法」という授業を担当しています。毎年この授業の1回目で必ず学生の皆さんに質問をしているのが、「学校に音楽の教科は必要か?」ということです。たいていの学生さんたちは「必要だ」に手を上げますが、かならず数名は「要らない」に挙手します。次に問いかけるのは「なぜ要らないのか」「なぜ必要なのか」ということですが、おもしろいことに、「必要だ」と答える学生さんは、その理由がふたつみっつあるのですが、「必要だとは思わない」という学生さんのその理由は、「よくわからない」か、「学校で音楽をやらなくても普段自分で音楽を聴いているからそれでよい」という2つに集約されます。もしかしたら、必要だと思わない人は、音楽を聴いて楽しんでいるところで止まっているのかもしれません(全員が、というわけではありませんよ)。必要だと思う人は、歌ったり演奏したりという音楽の活動から、無意識に何かの気づきを得ているのだと思います。そして気づきが学びに変わる瞬間が、自分の中で潜在的に起こっているのだと思います。だから、教育における音楽の必要性を感じるのでしょう。
合唱
 教科書は、目に見えない音楽を視覚を通して知る手段となります。授業では、音楽の聴き方や構成、どんなふうに演奏すればよいかなどを説明してくれます。曲を聴いて自分が感じたことを言葉にしてお互いに分かち合う機会もあります。クラスのみんなと一緒に奏でるときに湧き上がる気持ちは、ひとりの演奏では味わえませんし、一緒に奏でる機会があるからこそ、ひとりで奏でる醍醐味も知ることが出来ます。あらゆる「表現」の味わい方を知っていて、自分なりに表現してみる機会を持つことは、心の安定につながります。アメリカのある州では、音楽と美術の授業を学校教育から削除したら、学校が荒れて不良少年少女が増えたけれども、学校教育にその2つを戻したら、学校に落ち着きが戻ってきたという話もあるんですよ。

 世の中には多くの民族文化があってその中に必ず独自の音楽があります。自分とは違う民族の音楽であっても、教養として知っておきたいものが多くあります。ほかの分野のことを考えたり語ったりするときに、サウンド的に知っていれば早い段階で納得できることもあります。そしてサウンドを思い出せなくても、関連知識としてその音楽の存在を知っていれば、具体的につながって、文化や経済を考えるときにも役立つことさえあるのです。

 学校に音楽の授業があることで、誰でも平等に自分が演奏する機会を持つことが出来るのです。私はほかに保育者養成関連の授業も持っていますが、楽譜の書き方がわからなくても、とにかく自分たちで音やリズムを並べて、自分たちだけの音楽を作ってみる機会を多く持つようにしています。そしてお互いに作った音楽を聴き合って、それを受け止める作業を学生さんたちにしてもらっています。初めは難しがっている人が多いですが、気に入った音表現ができると、みな既成曲を演奏するときよりとても楽しそうですし、うまく演奏できたときには達成感のある表情をしているんですよ。

 



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Posted by 京都ノートルダム女子大学こども教育学科  at 20:10 │せんせいのたまごセミナー